HoneyBetray:Spinoff

誰かに読まれることを一切想定していない備忘録。

読む必要のない自分語りをしています。

平成が終わって新年号を迎えたのに、今更の話です。私が過ごした平成という時代のお話。急に書き綴っておきたくなったのでここに記します。 

取り留めもなければ纏まりもないし、一体何を書きたかったの?ってレベルの内容です。だからこんな記事を読むために時間など裂かないでください。

ただの感情と思い出の吐露です。

 

 

 

 

 

 

私が生まれたのは昭和という時代の終わり頃、だからメインで生きたのは、色んなことを経験したり学んだりした平成という時代でした。

「私は音楽が大好きだ!」という楽しみを見出したのも勿論平成という時代。音楽の素晴らしさを知ってから、何かを好きになる時、一番のキッカケとなるものが「音楽」になりました。

 

一番最初、私が好きだと明確に思った音楽はL'Arc~en~Cielの「flower」という曲でした。

この曲を初めて聴いたのは、恐らく「うたばん」という音楽番組だったかと思います。音楽番組は姉の影響で見てはいたのですが、ここまで「なにこの曲?!」と興奮したのはこれが初めてだったかと思います。

そして私は「音楽」という娯楽が大好きになりました。

勿論、一番最初に私に音楽の楽しさを教えてくれたこのバンドは、私にとって今でもかけがえのない大切な存在となっています。

 

そうしてバンドで音楽の楽しさを知った小娘はバンドという音楽ジャンルを好きになり、高校時代にバンギャへと成長をしたわけです。

ここは私がライブの参戦・コスプレ・遠征・ネット上で人と知り合うことを一番学んだ時代。

子供の頃の私は、ライブの開催をどこで知るのか・どうやって行くのか・チケットはどうやって買うのかなどということを一切知らなかったのですが、この時期にその全ての方法を知りました。

この当時の常にライブに行きたがる欲求不満のような時期がなかったら、今こうはなっていなかっただろうな。

 

その当時から長らくの間私はラルクではない他のV系バンドを全国各地追っかけ回し、コスプレのため頭を金髪や銀髪や青髪にしまくり(私生活がヅラ)、めちゃくちゃバンギャ謳歌していました。

 

そのときに「東日本大震災」が起きました。

 

めちゃくちゃ怖くて毎日不安で、もう二度と今までのような生活には戻れないと絶望していました。

ライブも自粛が続き、テレビも毎日がニュース。娯楽が何もない状態は不安しか生まず…、けれども仕事には行かなければいけない。私が働く意味は「音楽に触れるため」だというのに。何をやっているんだろう。

 

そのときに不意に聴き慣れた音が耳に入ってきました。

L'Arc~en~CielのGOOD LUCK MY WAYでした。

その時、ブワッと「音楽の楽しさ」を思い出しました。

このときは心底「大好きな人達が私を助けに来てくれた」と感じました。

 

そこから私は、暫く離れてしまっていた彼らの音楽に再度触れることにしました。飽きていたわけでも興味をなくしたわけでもなかったんだけど、夢中になるバンドを見付けたからそっちに全力を注いでいたんですよね。

(ラルクもほら、活休多いから)(自虐ではない)

当時は20周年ツアーも発表されてたんですけど、活休開けだったもんだからまぁチケットなんて余ってなくて、泣く泣くライビュに行った気がします。

 

そしてそうこうしている間にまた活休!出た!知ってる!好き!

 

でもどうしても彼らに会いたい。彼らの曲が聴きたい。無理ならせめてあの声が聴きたい。

そうだ、ソロバンドに通おう!

そして出向いたHYDEソロのVAMPS、最初こそ受け入れられなかったとこもありましたが、曲を聴いてみれば重低音の効いたロックで、そんな好みな音に大好きな声が乗っかっているなんて…好きになるしかなかった。

 

そんな時でした。

 

HYDEさんと、会話をするチャンスを手にしたのは。

 

意味が分からなかった。666人しか当選することのない権利を、私は手にしてしまった。初めて音楽の楽しさを教えてくれた人に、今この時期に、今このタイミングで、今、今、今、今会うことが出来るなんて。

こんなの、とんだ夢物語です。私の人生において、起きるはずのない出来事だったはず。言わばバグですこんなの。

 

この権利は、

VAMPSライブに好きな日にちの公演に無料招待

VAMPSの二人と会話ができる(カーテンで仕切られた個室で3人)

VAMPSの二人から好きなものへサインをしてもらえる

VAMPSの二人と握手ができる

⑤当選者は整理番号が実質0番なので、他の参戦者が入場する前に好きな場所を選べる(最前列陣取りも可能)

という、破格すぎる豪華すぎるもの。

毎ツアーやっていると聞いていたけれど、自分があたったらどうしよ~などと妄想することはあれど、まさか自分が当選するなんて思わないじゃない。

それが、我が手中に。

 

何を伝えよう、どうしよう、なんて公演までの間ずーーーーっと考えてましたけど、まぁ何も思い付かないんです。思い付くはずもありません。現実にこんなこと起きる訳ないと思ってたんですから。

 

この日彼らとした会話は、どこにも記録を残していません。

最初こそ、貴重な体験だからレポに残したい!と思ったりもしましたが、実際彼らと対面し、個室という空間でこのイベントを行ってくれたということを味わったら、気軽に公にすることなど出来なくなりました。

でも今でも、あの日した会話は鮮明に覚えています。忘れることなど出来ません。


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手元に残っているこのサインは、私が死んだとき棺桶に入れてもらいます。

 

しかし人間というのは薄情なのか、現金なもので…しばらくして新しい音楽に出会うと、その記憶を早速思い出にしてしまうんですよね。

 

その新しい音楽というのがKAT-TUNです。

KAT-TUNにハマる前に、音楽が聴けなくなるほど憔悴してしまう出来事があったという日記を綴ったことがありますが、その音楽はHYDEさんに近い場所にある音楽だったんですね。だから尚更しんどかった。

 

(因みにその音楽は今、活動休止をしています。そしてバンギャ時代目一杯追っ掛け回していたバンドも現在活動休止中です。こうなるともはや私のせいかもしれない)

 

こうして今までバンド音楽を一番に好み選び聴いていた女が急にアイドル楽曲に身を投じたんですが、アイドルってバンドよりも遠く遥かに高い場所に立っている存在じゃないですか。正しく偶像というか。

ジャニーズという母体がどれだけデカイかも分かっていたので、決して交わることなどないと思っていました。というか、交われるなんて思うことすらないですよね。ちょっと宗教チックですが、神と人民の距離感が埋まることって絶対にないと思うんですよ。というか、絶対にそんなこと有り得ちゃいけないと思うんですよ。

そういう環境に身を置いていると思考も自然とそうなって行くもので、私はかつて大好きなアーティストと話したという経験を記憶に片隅に追いやってしまったんです。

 

でも、そういう出来事って急に起きるんですよね。

 

中丸くんと、お話する機会が急に降ってきました。

 

これが私の平成最後の大きな出来事です。

中丸君の楽しい時間3という舞台で、その舞台の最前列で、コーナーの一つである質問タイムの質問者に選ばれました。

もう死んだかと思いました。最前列が当選したというだけでもう充分幸せなのに。何を隠そう(隠せてはいないが)私はUNIONで彼を担ぐことを決めたのだ。そうなって間もない時期にこんな出来事、あってはいけない、有り得ちゃいけない。これは夢だ、夢じゃないのならここは死後の世界だ。私は天国へと行くことができたんだ。

 

彼はアイドル。

天下のジャニーズアイドル。

その人が今、私の目の前でニヤついている。

これはそう、嘘だ。

私の妄想世界での出来事だ。

 

そんなことを考えていたからか、このときはテンパりながらもとても冷静でした。ちょっとテレビ越しに彼を見ている感覚になっていたような気すらする。

Twitterに流れてくるレポに自分の質問と中丸くんの回答があることもちょっと現実味がなかったけど、様々な人が文章にして残してくれたことがとても有り難かったです。この状況下での会話に関しては内容を隠すも何もないですからね。

(でも、当選したら辞退するだの当選する気しないだの、インターネッツ界隈では様々な言葉を目にしましたが、私だって当選するとは思ってなかったし、当選したところで辞退できる雰囲気でもなかったわと言っておきたい)


※これは当時ツイッターに上げたレポ絵。

 

そしてそんな中丸くんでの当選が、片隅に追いやってしまっていた大切な経験と感動を呼び起こしてくれました。

この奇跡、二回目だったんだわ私、という恐怖(???)

 

その後のこと。

これはHYDEさんのときもそうだったんですが、対面したその瞬間って実感がなんにもなく夢心地のように思考回路がフワ~ッとしてしまってるんですね。でもその日の夜や翌日になって実感が湧いてきて、グァァッと涙が溢れてくるんです。

 

もう泣きましたよ、1回のみならず2回も私の人生でこんなイベントがご用意されているなんて思いもしないじゃないですか。妄想の中でしか有り得ないことですもん。

どちらの存在もとても大きく遠く高い場所にいる有名なアーティスト・アイドルで、ステージの上や円盤の中やテレビで見る存在なわけで、そんな人の視界に私なんぞが入ることがある訳がないはずで。

 

正しく、事実は小説よりも奇なり。

 

彼らの記憶にはもう私のことなど存在しないはず。というか残っていなくてもいい。

私が宝物として持っておけばいいんだ。

夢のような時間をありがとう。

 

ぶっちゃけ私の人生なかなか波乱万丈で、30歳迎えるまで本にできるんじゃねぇのかレベルのおかしな人生を送ってきた女だったんですね。書いたところでアレなんで書きませんけど。

そんな中でも人間として道徳的や倫理的に間違ったことは起こさず、こんな人生なのに割と普通な性格で生きてくることが出来た系だと思うんです。我ながら。

そうやって色んなことを乗り越えてきたご褒美なんじゃないかと勝手に思ったりしたら更に感謝しか込み上げてこなくて。

 

ああ、私はなんて恵まれた平成を送ることが出来たんだろう。

 

などと、ポエミーなことを思わざるを得なくなるんです。

しかしご褒美にしてはデカすぎる。私は平成にもう充分なほど色んなものを与えてもらった気がする。くっそポジティブにもなれたし。ポジティブになりすぎて人の愚痴とか弱音を一切聞いてあげらんなくなっちゃったけど。

 

そんな時代が終わってしまったんだなぁ。

確かにしんどい時もあったしやさぐれた時もあったけど、私の平成は「楽しい出来事」一つ一つの容量がデカ過ぎて相殺どころか抹消できましたよ。

 

だから平成という時代がすんごく大好きでした。

 

平成が終りを迎えるとき、寂しかったけど楽しかったなって思うほうが多かったこと、終わることを嘆くより新しい元号にワクワクしている瞬間のほうが圧倒的に多かったことを思うと、ああ本当に、平成は私にとっていい時代だったんだなって思います。

令和もそんな時代になるといいな。

 

 

 

 

そんな令和一発目に私が行った現場は、赤西くんのフィルムコンサートでした。

そのせいで今更この2019年にじんかめに喘ぎまくってるというのはまた別の話なので割愛します。

 

 

 

一生、一生忘れないからな!

目一杯大好きなものを大好きと叫びながら駆け抜けたこと。

大好きな人たちから貴重な経験を味あわせてもらったこと。

大好きをこれからも大好きだって叫んでいける気持ちと熱をもらっていること。

一生失ってなんかやんない。

 

そんなことを思った令和元年の深夜2時。